記事
『魔法先生ネギま!』26巻を読みました。
この巻というより、魔法世界編全般について、ずっと違和感を覚えています。
この感覚はなかなか説明しがたいのですが、ざっくり言えば『ネギま!』という作品全体がもっている世界観と、魔法世界の世界観の乖離、だと思います。
極論を承知で言わせてもらえば、もともと『ネギま!』は、基本的に女の子たちがきゃっきゃウフフしていた「軽さ」「明るさ」が売りの一つだったはずです。
学園祭編でも、世界の転換を試みた超の計画は「お祭り騒ぎ」のなかに回収されたわけです。その計画を行うに至った超の過去などはぼかされて、はっきり語られることはありませんでした。
(まともに語られていれば、重たい話になっていたでしょう)
しかし、魔法世界編ではさまざまな重たい過去が語られだしています。映画仕立てにしていくら軽く演出したところで、内容は重たくなりつつあります。
赤松氏は物語を重くしないよう心がけているように思えますが(ラカンやパイオ・ツゥのエピソードなど)、それがだんだん魔法世界の実態と合わなくなってきているように感じます。
(個人的には、ラカンも豪放磊落というよりは、正直筋肉バカにしか思えなくなってきているし)
といって、わたしとしては今さら「きゃっきゃウフフ」な部分を削るのもなあ……という気分です。どう収拾つけるんでしょう。
「母」の不在と隠蔽される「嫉妬」 « 前の記事
次の記事 » ネギま!の時間軸
- この記事のリンク用URL
- この記事のトラックバック先














受信したトラックバック
From : http://yannegi.blog42.fc2.com/blog-entry-2451.html [ 2009-05-16 19:15:03 ]