記事
過去の同人小説サルベージ第2弾。
「MOTHER2」のネスとポーラのエンディング後の話です。
03年12月の冬コミで発行しました。
SMILES and TEARS
サターンバレーの岩間を抜ける風は相変わらず強く、けれども以前よりも確実に暖かくなっていました。
泊めてくれたどせいさんにお礼を言うと、ネスは玄関でしゃがみました。そして、きちんと結んであったスニーカーの紐をもう一度結びなおそうとして、その手が止まりました。
もう、こんなことをする必要はないんだ。
出発するときは、いつも靴紐を固く結んでいました。ついこの間まで、一歩外を出れば何が起こるかわからなかったのです。
優しかったおばさんも可愛らしかった野うさぎも、ネスたちを見つけると買い物袋で殴りつけたり噛みついたりしてきました。ギーグの催眠術のせいです。
でも、今はもう大丈夫です。「時の彼方」でギーグを追い払うのに成功したのです。4人の戦士たちの戦いは終わったのです。
あとはもう、それぞれの家に帰るだけです。プーはランマの王宮に帰りました。ジェフはアンドーナッツ博士と一緒にサターンバレーに残って、どせいさんたちの科学を学ぶそうです。
そして、もうひとりの仲間は……。
いけない! ネスは腕時計を見ると、慌ててどせいさんの家を飛び出しました。サターンバレーの入口で、ポーラと待ち合わせをしているのです。
岩壁がそびえたつサターンバレーの入口に走って駆けつけましたが、まだ誰もいません。約束の時間ぴったりです。
膝に手をついて呼吸を整えると、ネスはかぶりなおそうとした野球帽をまじまじと見つめました。この野球帽とも、ずいぶん長い付き合いです。旅に出る前は鮮やかな赤色だったのに、今では色がくすんでほつれたところもあります。
責任の半分はポーラにあるとネスは思っています。なぜなら、きれい好きのポーラが、洋服だけでなく野球帽までことあるごとに洗っていたからです。もちろんネスの野球帽だけでなく、ジェフの蝶ネクタイやプーの胴着の帯も、同じ被害にあっています。
「やめろよ、そんなに洗わなくていいよ」
「きれいなほうがいいじゃない。それに減るものじゃないし」
「減るよ!」
思わず3人の呼吸が合った瞬間でした。
それでも、カラスに突かれて野球帽に空いた穴をつくろってくれたのもポーラでした。
「わたし、けっこうこういうの得意なのよ」
そう言いながら、ポーラは針を指に刺しては眉を寄せ、その表情をネスに見られていることに気づくと頬を赤らめていました。
「どこが得意なんだよ、この嘘つき」
だから、ついからかいたくなります。
「嘘じゃないよ。幼稚園の子のボタンつけとかもしてたもん」
そうすると、今度は頬を膨らませます。
「どうせ、ボタンを血で染めてたんだろ?」
「ひどーいっ」
最後には眉が釣りあがります。
そんなポーラの百面相に思い出し笑いを浮かべて、ネスは野球帽をかぶりなおしました。すると、後ろからさくさくと草を踏む音が聞こえてきました。
「お待たせ」
「まったく遅い――あっ」
振り向いたネスの口から、驚きの声が上がりました。
ネスのもとへ向かって少女が歩いてきます。朝日に照り返されて輝く金色の髪や意志の強そうな大きな青い瞳、頬の線に幼さを残しつつも整った顔立ちは、間違いなくポーラのものです。
けれど、その姿は……。
冒険を続けている間、ポーラはTシャツと足首まであるズボンを着ていました。いざという時にスカート姿では危ないからです。
なのに、今日のポーラはピンク色のとびきり可愛いワンピースを着ています。カーペインターさんに閉じ込められていたポーラに出会った時と同じ姿です。ネスがこの姿のポーラを見たのはあの時、たった一度きりです。
無事に助け出したポーラを家まで送り届けると、ポーラはすぐに着替えてしまいました。戦士の旅立ちです。
そうしてポーラはネスと一緒に旅を続けてきました。ずっと仲間だったのです。
けれどここにいるのは、フリルのついたワンピースがよく似合う女の子です。そんな女の子が、ネスの前までやって来るとにっこりと微笑みました。
「待った?」
今までなら、リーダーとして小言のひとつも言ったでしょう。毎朝が、生死を分けるかもしれない旅立ちの朝だったのですから。
「……いや、別に」
なのに、ぽろりとこぼれ出た言葉に、ネス自身がびっくりしました。これでは、まるで……。
思わずネスは激しく首を横に振りました。それ以上変なほうへ考えが進まないようにしないと、こわくてたまりません。何がこわいのかはわかりません。
「そんなにいっしょうけんめい否定しなくてもいいのに」
そう言って、ポーラがまた微笑みました。その顔がまともに見られません。どうしたのでしょう。心臓もどきどきしています。
「朝ごはん、ちゃんと食べてきた?」
「当たり前だろ。もう行くよ」
「あ、待ってよ」
ぶっきらぼうに言い捨てて、ネスは早足で歩き出しました。あわててポーラが後についてきます。
「ツーソンまで歩いてく? それともテレポーテーションで行こうか?」
「もう、せっかちなんだから、ネスはっ」
そう言って、ポーラは不満げに頬を膨らませました。いつもどおりの反応に、ネスも少し落ち着いてきました。
「だって、家まで送ってくれって言ったのはポーラだろ?」
「だからって、そんなにすぐ帰らなくたっていいじゃない。一緒にいろんなもの、見に行こうよ」
ポーラは両手を後ろに組んで身体をかがめると、ネスの顔を覗き込むようにして見上げました。湖のように透き通る青い目が、ネスをまたどぎまぎさせます。
「だって、せっかく帰ってこれたんだから」
「……そうだった」
ネスは視線をまっすぐ上に向けました。その視線を追うように、ポーラも空を見上げます。生い茂る緑の隙間から、空の青が見えます。明るい日の光を自分の目で受け止めます。時を越えるために、一度は人の身体を失ったネスたちです。けたたましい騒音を立てながらぎこちなく動く機械の身体では、灰色の世界しか見えなかったのです。
今は、木の葉を揺らす風の温度を感じます。吸い込む空気に、草木の匂いが混じります。
「ちょっといない間に、ずいぶん暖かくなったな」
ネスの言葉に、ポーラが黙って頷きました。今度は2人の視線が絡み合います。ずっと一緒に戦ってきたかけがえのない仲間です。ネスの穏やかな笑顔に、ポーラがはにかんだ笑顔で返します。
「ゆっくり、いろんな所を見に行こうか」
「うん」
「どこに行く?」
「どこへでも、行ける所全部に。まずはフォーサイドから」
「わかった」
ポーラが手のひらを差し出しました。ためらうことなく、ネスがその手を取ろうと自分の手を伸ばします。テレポーテーションの準備です。
けれど、ポーラの手を握るとまたネスはどきどきしてきました。しかも指を絡めています。今まで何度も握ってきた手なのに、気になって仕方がありません。小さくて柔らかな、女の子の手です。
それでも、仲間なら手を握るのは当たり前のことです。中途半端な握り方をして、空間の狭間に落としたりしたら大変なことです。ネスは力を込めてポーラの手を握り締めました。そして、こころの力で2人の身体を飛ばします。
2人の最後の旅が、始まりました。
クモの巣のように縦横無尽に張り巡らされた道路を右へ曲がり左へ曲がり路地を巡り、2人はフォーサイドを渡り歩きました。
かつて「マニマニの悪魔」に操られてポーラを誘拐したモノトリーさんは、エレベーターマンとして生き生きと働いていました。
モノトリーさんが買ってくれた缶ジュースを片手に入ったトポロ劇場では、ビーナスさんのコンサートが始まろうとしていました。舞台袖に入れてもらったのに、口笛や歓声でビーナスさんの歌声がほとんど聞こえません。
コンサートの後にネスの頬にキスをしたビーナスさんに、顔を赤らめてうろたえたネスとむくれたポーラは、フォーサイドからランマへ飛びました。宮殿目指して山を登り、つい昨日別れたばかりのプーに会いに行きました。
「2人ともよく来てくれたな。皆の者、ご馳走を用意してくれ」
食べきれないほどのランマ料理に、2人ともお腹を押さえてひっくり返ってしまいました。
それでも、午後にはウィンターズへと行きました。寒さに震えながらスノーウッド寄宿舎へと飛び込むと、暖炉の側でトニーが2人にホットミルクを振舞ってくれました。
「会うのは初めてだね、ネス、ポーラ。初めまして、僕がジェフの『親友』のトニーだよ」
やけに「親友」にアクセントを置いて話すトニーは、矢継ぎ早に質問を繰り出してきました。
「ジェフはまだ帰ってこないのかい? なぜ? へえ、アンドーナッツ博士と一緒なのか。でも会いたいなあ、ジェフ……」
しみじみ呟いて遠くを見たかと思うと、突然ネスをにらみます。
「まさか、君がジェフをそそのかしたんじゃないだろうね……ああ、ごめん。君はそんな奴じゃないよね。でも、つい、ね」
こんな風に、トニーがジェフが帰ってこない理由をしつこく問い詰めつづけるおかげで、寄宿舎を出たときにはすでに日が傾いていました。
そして、2人は最後の目的地、常夏のリゾート地・サマーズへと飛びました。
着いた瞬間、まず耳に入ってきたのは打ち寄せる波の音でした。
「うわぁ、きれい」
瞳をきらきらと輝かせると、ポーラは道路を横断して目の前の砂浜へと駆け出しました。少し遅れて、ネスも後を追います。
海に沈みかける入日が、青いはずの海を一面オレンジに焦がしています。けれど、近づいてよく見ると、波立つオレンジの隙間には蒼い陰が現れては消え、一瞬として同じ姿を見せてはくれません。
「すごい……」
呟いた口を開いたままネスが浜辺に立ち尽くしました。
海はどこまでも広がっています。この広さの前では、ネスの存在なんてちっぽけなものです。
すぐそばの波打ち際では、ポーラが打ち寄せる波と遊んでいます。ぎりぎりまで踏み込んでは、やってくる波に逃げ出す、単純な繰り返しなのに、飛んだり跳ねたり楽しそうです。
ぼくたちは、帰ってきたんだ。
少し離れた所で、ネスは腰を下ろしました。1日中テレポーテーションを乱用したので、さすがに少し疲れました。
他に見るものもなく、ネスは波打ち際ではしゃぐポーラを見ていました。ポーラは疲れた様子もなく、笑いながら波を追いかけては逃げています。肩先で切りそろえた金髪が軽やかに跳ね、スカートの裾がひるがえります。
見慣れないワンピース姿だからでしょうか。今日のポーラはなぜかすごく可愛いです。
でも、服のせいじゃないんだろうな。
さすがのネスも気づいています。今日1日一緒にいて、よくわかりました。ポーラ自身は何も変わっていないのです。ちょっと口やかましくておせっかい焼きなところも、すねると頬を膨らませる癖も。なのに、ちょっとでも意識すると、すぐにまっすぐ見られなくなってしまいそうになるのです。
でも、2人だけのこの旅ももうすぐ終わりです。ツーソンに移動してポーラを送り届けて、ネスがオネット郊外の家に帰れば、おしまいです。まだ子どもの2人です。ずっと休んでいた学校にも行かなければなりません。ネスは大きくため息をつきました。
そう考えれば、少しくらい帰るのが遅くなってもいいかと思いました。
「ネスーっ」
ポーラがネスに向かって大きく手を振ります。
「一緒に遊ぼうっ」
「ダメだろ。水遊びなんかしたら、その服がずぶ濡れになるよ」
はしゃぐポーラをたしなめます。もったいないと思うからです。
「構わないよ。久しぶりに着たんだもん」
ふと、ネスは疑問に思ったことを口にしました。
「あれ、そう言えば、どうしてその服を持ってるんだ?」
一緒に旅を始めたときには、この服は家に置いてきたはずです。
「ああ、これ?」
ポーラは胸元を手で押さえて自分の姿を見下ろし、そしてまたネスを見ました。
「スペーストンネルに乗る前に、ママに連絡して送ってくれるように頼んでたの」
時の彼方へと向かう時に、もう帰れないと思っていたネスには、そんなことをママに頼むなんて想像もできません。戦いの中で、いつも冷静に援護を続けたポーラらしいとネスは思いました。
「ポーラには、帰ってくる自信があったんだな」
「ううん、違うの」
けれど、ポーラはすぐに首を横に振りました。胸元の布地をぎゅっと握ります。
「もう帰れないって思ってた。だから、送ってもらったの」
その時のことを思い出したのか、ポーラが苦しそうに顔をしかめました。呼吸をすることさえも困難に思えるような表情に、ネスは思わず立ち上がりました。
「この服が、パパやママにとっていちばんのわたしの思い出だと思ったから。わたしがいなくなってこの服を見たら、きっと悲しむと思ったから」
ポーラはその服を包み込むようにきつく身体を抱いて、足元を波で濡らしながら立ち尽くしています。
何か大事が起きたときに、まず慌てふためくジェフや、すべてを天命と受け入れているかのように寡黙不動のプーと比べて、ポーラは旅を続けるほど、柔軟で的確な判断をするようになっていました。
人の身体を捨て、ロボットに頭脳プログラムを移植するという決断を迫られたときも、「それでこの世界が救われるなら」と言ったネスに、すぐに頷いてくれたのもポーラでした。
本当は、ネスだって怖かったのです。少しだけ普通と違う力を持っていても、ネスはまだ子どもです。なのに、この細い両肩に地球が丸ごと一個乗っかってしまったのですから。けれど、そんなネスの肩をポーラが支えてくれたのです。
そのポーラが、ネスの前で身体を震わせています。目元には涙の粒が膨らんでいます。旅の間、ポーラが泣くところなんて一度も見たことがありません。ネスはポーラの側まで近づき……どうしていいかわからず、ただポーラを見守っていました。
「ネス……」
そう呟くと、伏せた瞼の隙間からこぼれる涙が長い睫毛を濡らしはじめました。ネスは忙しく口を開いたり閉じたりを繰り返しましたが、何を言ったらいいのかさっぱりわかりません。ただ立ち尽くすだけです。どこを見たらいいのかもわからなくて、ネスはちょうど目の前にあるポーラの額を見ていました。
もう終わったことなのに、なんで今さら泣いたりするんだよ。
苦しまぎれに、そんなことを思わずにはいられません。ただ、残念ながらポーラの額にはその答えは書いてありません。
その額がさらに近づいて、ふっと右に逸れたのとほぼ同時に、右肩に重みがかかりました。夕日を浴びて光の帯のように輝く髪の毛が、ネスの右耳をくすぐります。
ネスの身体が石のように固まりました。硬直したその身体に頬を寄せて、ポーラが肩を震わせます。ネスの頬が赤いのは、入日のせいではありません。
「……ポーラ?」
おそるおそる呼びかけます。でも、ポーラは言葉では何も答えてくれません。抑えた呻き声だけが、ネスの耳に届きます。まるで心臓に重しが乗せられたように、息が苦しくなってきました。
ネスは、握り締めた両手のこぶしをゆっくりと持ち上げました。しばらく空中をさまよった後、ようやくその手がポーラの両肩に置かれました。
挟み込むように触れたポーラの身体は、なんだかとても小さくて、力を込めることもできません。敵のロボットを一瞬にして凍らせたり、雷を落として回路をショートさせる強力な超能力を使いこなす戦士とはとても思えません。
ネスの手のひらが勝手に汗ばんできます。もう、限界です。ネスは肩をつかんで、強引にポーラを引き離しました。そして、あさっての方向を見ながら、早口でまくしたてました。
「ポーラはほんとによくやったよ。すごい頑張った。えらい。だから、泣くな。あんまり泣くと、ブスになるぞ」
精一杯の褒め言葉のはずが、途中からおかしな方向へ行ってしまいました。案の定、一瞬きょとんとした顔でネスを見上げたポーラが、頬を濡らしたまま口を尖らせました。
「顔なんか一度も見てないくせに」
「ぐ」
その通りです。ポーラはずっとネスの肩に頭を押しつけてうつむいていたのですから。
「じゃあ見るよ」
「あっダメ、やっぱり見ないでっ」
何気ないネスの言葉に、ポーラがあわてて両手で顔を覆ってうつむきました。
「何言ってんだ。訳がわかんないよ」
「だって……恥ずかしいから」
囁くようなポーラの呟きに、再びネスの頬が赤くなりました。なぜでしょう。ネスまで恥ずかしくなってきました。すごく居心地が悪いです。でも、嫌でもありません。不思議です。
2人の足元を、風が駆け抜けました。砂ぼこりが舞い上がります。少し、気温が下がったようです。砂浜に落ちていた2人の影も、周りの陰に覆われて消えようとしています。
「……そろそろ、行こうか」
ネスは、ポーラの様子をうかがうように誘いかけました。ポーラが顔を上げたのを見てから、ネスはゆっくりと堤防に向かって歩き始めました。
「どこに行くの?」
ポーラもネスの様子をうかがうように訊いてきました。
あては、ありません。……いいえ、本当はあります。
ツーソンまで、ポーラを送っていけばいいのです。そして、家に帰ればいいのです。それだけのことです。今朝出発したときはそのつもりでした。
でも、今のネスにはどうしていいのかわかりません。どうしたいのか、自分でもわかりません。ただ、このまま帰るのは嫌なのです。ネスは堤防の階段を上り、無言のまま大通りに沿って石畳を歩き続けます。レストランやリビングバーが華々しい光を放ち、中からはざわめきや笑い声が聞こえてきます。リゾート地の夜はもう始まっています。
「一緒に、いようか」
後ろから聞こえた声に、ネスがびくっと身体を震わせました。それは、まるで心の声のように聞こえたのです。
でも、それはポーラの声でした。振り向くと、ポーラが腕を後ろに組んでネスを見つめていました。つぶらな瞳で、おずおずとネスを上目遣いに見上げています。
ネスの心臓がまた跳ね上がりました。今日はずっとこればかりです。いい加減にして欲しいと思いながらも、やっと少しだけ慣れてきました。ここまできて、ようやく気づきました。ポーラといる限り、このことからは逃れられないということに。
「うん、一緒にいよう」
そして、今ポーラと別れてしまったら、もっと胸が苦しくなるだろうということに。
ふかふかのベッドに倒れこむと、ネスはやっぱりまた考えずにはいられなくなりました。
ぼくはどうしてこんなところにいるんだろう?
部屋の調度品は少し派手ですが、なかなかよい品で揃えられています。ネスが今着ているパジャマも、いい肌触りです。ベランダに出れば、正面には海が見えます。
うつぶせに倒れたまま横を見ると、そこにはベッドがもうひとつあります。そのベッドの主は、まだ戻ってきません。
頭から伝わる冷たい感触に、ネスは身体を起こしました。頭を洗った後、ちゃんと乾かしていなかったのです。枕元のタオルをつかむと、わっしゃわっしゃと乱暴に頭をかき回しました。硬い黒髪があちこちに跳ねましたが、ネスはそんなことには気づきもしません。
ここは、かつて4人で冒険をしていた時にも泊まったことがあるホテルです。その時は4人部屋に泊まり、ベッドに広げた地図の上で頭をつき合わせて翌日の行程を検討したりしました。
でも、今は……。
「あー、さっぱりしたっ」
そう言いながら部屋に入ってきたのが、その隣のベッドの主です。バスタオルを肩に掛けて、パジャマ姿になったポーラです。乾ききらない金髪がまっすぐに垂れ下がり、色白の肌がほんのり紅く染まっています。
隣のベッドに腰掛けて、鼻歌交じりで髪を乾かす様子に目を奪われそうになりながら、ネスはぶっきらぼうに声をかけました。
「もう寝るよ。今日は疲れたっ」
2人きりでいたらどうしていいのかわからないのです。だって、ポーラは女の子で、ネスは男の子なのですから。
「えー、もう?」
「今日はテレポーテーションをたくさん使ったから」
「あー、そっか……」
ポーラが申し訳なさそうにうつむきました。世界中を巡りたいと言い出したのはポーラなのですから。
ネスも本当はこんなことを言いたいのではありません。それでも、引っ込みがつかなくなって、ベッドに潜り込みました。
「おやすみっ」
ポーラに背を向けて、身体を丸めます。
背中からかすかなため息が聞こえてきました。ネスの胸がまた痛くなります。
違う、違うんだよ。そうじゃないんだ。
あせります。でも、何を言ったらいいのかがわかりません。
しばらくの間、背中越しにポーラが何かをごそごそやっているような音がしましたが、やがて明かりが消え、布ずれの音が隣のベッドから聞こえてきました。
空調の唸る音が聞こえてきました。何かをしていれば、気にもとめなかった音が気になって仕方がありません。本当に気になるのは空調の音ではありません。ネスは布団の中でこぶしを握りしめました。
何のためにここにいるのでしょう。このまま眠って、朝を迎えるためにポーラとここに来たのでしょうか。
いいえ、違います。ネスは寝返りをうって、ポーラのほうを向きました。ポーラはネスに背中を向けて横になっています。
「ポーラっ」
「えっ、何っ?」
力強い呼びかけに、驚いたようなポーラの声がしました。ネスがもう眠ってしまったと思っていたのでしょう。ネスは心を込めて呼びかけます。
「あのさっ……」
でも、後が続きません。また頭の中がごちゃごちゃになります。言葉が渦を巻きます。その渦のてっぺんにすうっと浮かび上がった言葉が、唐突に舌先から転がり出てきました。
「ありがとう」
薄暗がりの向こうのベッドで、ポーラがこちらを向いて目を開くのがわかりました。ネス自身も驚きました。でも、喉に引っかかっていたキャンディが飛び出したように、急に喋れるようになりました。
「一緒に旅を続けてくれて、ありがとう。ぼくは、ぼくたちは何度もポーラに助けられてきた」
胸が力強く高鳴ります。今は素直にその流れに言葉を乗せられます。
「ギーグと戦ったとき、ぼくはもうダメだって思ってた。ジェフもプーも、みんな倒れてたのに、ポーラだけが祈ってた。あの姿を、ぼくは今でもはっきり覚えてるよ」
時の彼方で、姿すら見えないギーグと向かい合ったあの時、ひたすら「邪悪」を具現化したような存在――もし、神が存在するというならまさにその逆の存在に、4人とも足がすくみました。どろりと粘り気をまとった闇が4人を取りこみ、ばらばらに解体しようとしています。血の通わないロボットの身になっていたというのに、身体が震え上がりました。
それでも必死で繰り出したネスの必殺PKやプーのPKスターストームは闇に吸い込まれ、ジェフのペンシルロケットははじき返されました。
そして、ギーグからの得体の知れない攻撃にシールドをあっさりと突き破られ、4人は身体を引き裂かれる衝撃を受けました。
ジェフの後頭部からあふれ出るオイルの脇には千切れた右腕が転がり、穴の開いたプーの胴体からは壊れた集積回路が見えています。
「ジェフ! プー!」
仲間たちの窮地に、ネスが必死で立ち上がります。ぎしぎしと軋む足を進め、仲間たちをかばうように両腕を広げました。痛みは感じません。けれど、回路がつながっていないのはわかります。それでも、もう一度念を込め、必殺PKを繰り出そうとしました。
けれど、踏ん張るネスの足元を衝撃波が吹き飛ばしました。両足を失ったネスがあっけなく倒れこみます。
「ネス!」
仲間たちのひび割れた叫び声が聞こえました。けれど、もう立ち上がれません。手をついて身体を起こそうにも、その両腕に力が入りません。動け動けと、どれだけ思いを込めても、回路が切れた腕はぴくりとも動きません。
これで終わりなのかよ。いったい何のためにぼくたちはここまで来たんだっ……。
くやしくてくやしくて、何かがネスの目を濡らします。壊れたタンクからオイルが漏れたのかもしれません。ロボットは涙を流しません。けれど。
ここでギーグを倒さなきゃ、世界は終わっちゃうのに……!
視界が歪みます。その視線の向こうに、起き上がる一体のロボットがいました。アンテナに結んだリボンがぼろぼろになっています。左腕を失ったそのロボットは、祈るように右腕だけを胸の前に差し出しました。
そこにいるのは、アンドーナッツ博士が作った実用一点張りのロボットです。人間の面影など、影も形もありません。けれど、ネスには確かに瞳を閉じ、祈りをささげるポーラの姿が見えました。
「わたしたちの思いが届いた人……誰か……」
ギーグからの衝撃波にさらされても、それでも祈りをやめようとしません。残っていた右腕も吹き飛び、両足を失って棒のように倒れこみます。
それでも、祈り続けます。壊れた人工声帯がきしんだ音を立てます。祈りです。その祈りが、闇を切り裂きます。驚きに、ネスの目のランプが激しく明滅しました。
「ヤメロ……」
おびえたようなギーグの声が聞こえてきました。
「ヤメロヲヲヲッ!」
絶叫と共に、雷のような光がポーラに向かって放たれます。
「ポーラ!」
手足を失っているのに、気づけばネスはポーラの前へ転がり出ていました。精一杯の力でシールドを張り、突き壊されてはまた張りなおします。そのたび身体の部品が吹き飛ばされますが、気にもとめません。
「死なせるもんか!」
こころの壁で守ります。かけがえのない、大切な仲間を。
「ネス!!」
衝撃に身体が吹き飛ばされます。意識が遠のきます。叫び声が彼方から聞こえました。
「誰か、誰か、この祈りに応えてください! ネスを……わたしの大切な人を、どうか、どうか助けてください!!」
「……あ」
ネスはベッドの中で顔を赤らめました。あれは、間違いなくポーラの声でした。その後の奇跡の生還で忘れていたのです。
わたしの大切な人。ポーラは確かにそう言いました。
「わたしも覚えてる。ネスが、わたしを守ってくれたこと」
柔らかな声がしました。心のこもった、暖かな響きがネスを包みました。
「ありがとう」
ポーラはここにいます。それだけで、もう十分でした。
これが、長くて短い夜の始まりでした。
布団にくるまったまま、向かい合っておしゃべりを続けます。旅の思い出を語り、これまで知ることのなかったお互いの家族や学校のことをたくさんたくさん、話します。
「パパ役ならまだマシだよ。でも、犬役だぜ? 理由をきいたら『ネスはお芝居が下手だから』だってよ。ほんっとむかつくよ」
「でも、ネスは付き合ってあげちゃうんだね」
妹のトレーシーの人形遊びに付き合わされて困るとぼやくネスに、ポーラが感心したように笑います。
「爆発するなんて、絶対ありえないわよ! レシピどおり作ったのに。もう、すっごいショックだった」
「ジェフが聞いたら、大喜びで原因を探すんだろうな。今度頼んでみなよ」
幼稚園の子と一緒にパンケーキを作ろうとして失敗したと嘆くポーラに、ネスがからかうように笑います。
話し疲れてしばらく黙り込んでも眠ることはありません。話は続きます。ただこの暖かな空気に、言葉をあずけるだけでいいのです。
カーテン越しの窓が明るくなるまで、2人はただ言葉を交わし続けました。
チェックアウトを済ませたネスが、あくびをしながらホテルを出ました。さすがに徹夜はつらいです。
道路の向こうにある街路樹の陰でポーラが待っていました。ネスが道路を横断すると、ネスと同じように眠そうな顔で、けれども笑って迎えます。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
ポーラがホテルを見上げました。ネスも改めて見上げます。
明るいところで見ても、立派なホテルです。白亜の壁から洒落た屋根が突き出しています。屋根の下には繊細な細工の柵で囲まれたベランダがあって、熱帯樹が寄り添うように立っています。
「また、2人で来たいね」
思わずうめき声を上げそうになりながら、ネスはそう呟いたポーラの顔をまじまじと覗き込みました。その提案の意味を探るように見ていると、ポーラの顔が赤くなりました。
「えっ、あっ、違うのっ、そういう意味じゃないのっ……えっと、えっと……」
慌てて両手を左右に振ります。ぶんぶん振る首の動きに、髪の毛が勢いよく振り回されます。うろたえる様子に、逆にネスのほうは冷静になりました。
「そういう意味って、どういう意味? 言ってみなよ、ほら」
ポーラの顔を見たまま訊きます。昨日からずっとポーラに振り回されっぱなしです。これくらいの仕返しはしてもいいでしょう。
「い、いじわるっ」
ポーラがぷいっと横を向きました。そんな様子が、思わず笑ってしまうくらい可愛いです。そして、可愛いと思えるようになった自分に、もうネスは驚きませんでした。
「まあ、あと何年かしたら――」
「えっ?」
ポーラがネスに向き直りましたが、今度はネスが目をそらして、そのまま歩き始めました。
「ちょ、ちょっと、ネス。今のって」
「訊くな」
野球帽を目深にかぶり直します。赤くなった顔をなるべく見せないようにしながら、振り向いて、手を差し出しました。
「ほら、帰ろう」
ポーラが手を見て、またネスを見ました。戸惑いを抑えるように、両手を胸の前で握っています。
「みんなが待ってる、我が家へ」
ネスがさらに手を伸ばすと、ポーラが晴れやかに微笑みました。
「うんっ」
頷いたポーラが、ネスの手を取りました。ネスも照れたように口元をゆるめて微笑み返します。
ネスからポーラに手を差し伸べるのは初めてでした。
これが、今のネスの精一杯です。
朝日の当たる道を、手をつないで歩きます。
もうすぐ、2人の小さな旅は終わろうとしています。
けれど、笑顔と涙を分かち合った2人の新しい旅は、もうすでに始まっているのでした。
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投稿されたコメント
By : ちょーちん [ 2009-10-22 木曜日 23:46:33 ]
マザー2、小説で検索してたらこのブログを発見したので立ち寄らせて頂きました。
凄く面白かったです。やっぱりネス×ポーラはいいねw癒されます。
あまりにもいい内容だったので、コメ残させて頂きます。
それでは、失礼。
By : てるりん [ 2009-10-23 金曜日 04:18:23 ]
いいです。すごくいいです! よすぎて、こんな時間まで読み老けちゃいました(つд`)
By : もりみ [ 2009-10-23 金曜日 20:43:21 ]
うおお、コメントが! びっくり。
ちょーちんさま>
コメントありがとうございます。
ネスとポーラの組み合わせはいいですよね!
楽しんでもらえてうれしいです。
てるりんさま>
コメントありがとうございます。
お褒めの言葉うれしいです。
しっかりお休みくださいませね。